紀本道

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紀 本道(き の もとみち、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族右兵衛督紀興道の子。官位従五位下下野守

経歴

天安元年(857年従五位下勘解由次官に叙任。翌天安2年(858年)正月に伊予権介に任ぜられ、2月に筑前権守と地方官に転じる。貞観3年(861年)母のに服して一旦官職を辞すが、8月に筑前権守に再任され、翌貞観4年(862年)筑前守に昇進する。貞観8年11月(867年1月)には下野守に任ぜられるなど主に地方官を務めた。蔵人を務めたともされる[1]

また、孫には歌人として有名な紀貫之がいる。

官歴

六国史』による。

系譜

脚注

  1. ^ a b c d e 「紀氏系図」(『続群書類従』巻第168所収)
  2. ^ 「中里氏系」(『宇都宮神官系図』所収)では本道の弟とする。年代的には弟が妥当(宝賀[1986: 462])

参考文献