紀大音

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2021年12月29日 (水) 16:04; イエスタディ・ワンスモア (会話 | 投稿記録) による版(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
 
紀 大音
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 不明
主君 大海人皇子
氏族
テンプレートを表示

紀 大音(き の おおと[1])は、飛鳥時代の人物。672年壬申の乱の際、大海人皇子(天武天皇)の側につき、懼坂に陣営を作って河内国で敗れた味方を収容した。

経歴[編集]

紀氏(紀臣)は当時の有力氏族だが、大音の系譜は不明である。

天武天皇元年(672年壬申の乱で倭(大和国)の方面の指揮をとった大伴吹負は、おそらく7月2日に河内から大軍が来るとの情報を得て、三部隊を分派した。そのうち坂本財らの部隊は、高安城を攻め取ってから、おそらく7月3日の朝に西方を見下ろし、壱伎韓国が率いる大軍を遠望した。彼らは出撃して戦うことを決めたが、別に紀大音に人数を預けて懼坂を守らせた。坂本らは衛我河の西で戦って敗れ、大音が用意した陣営に逃げ込んだ。おそらく5日に壱伎韓国の軍勢が押し寄せると、彼らは抗戦できずに退却した。紀大音はその後も吹負の下で戦ったと思われるが、他に記録がなく後のことは不明である。

脚注[編集]

  1. ^ 旧仮名遣いでの読みは「き の おほと」