箆津信清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2020年4月12日 (日) 01:41; イルーゾォ (会話 | 投稿記録) による版 (テンプレート新規作成)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
 
箆津信清
時代 室町時代
生誕 不明
死没 不明
氏族 箆津氏
テンプレートを表示

箆津 信清(のつ のぶきよ)は、室町時代頃の伯耆国武士国人箆津氏の一族で箆津豊後守の子孫。

経歴[編集]

伯耆八橋郡石井垣城主と考えられ、箆津氏の中では箆津敦忠以外に名前の分かっている唯一の人物でもある。

東伯郡誌に見える記述[編集]

箆津氏の中では名前の分かっている数少ない人物である信清だがその経歴については全くの不明である。唯一、明治40年(1906年)に出された「東伯郡誌」に応永8年(1401年)、退休寺領を増やして殿堂を改築、七堂伽藍を建立したとの記述が見えるのみである。

参考文献[編集]

  • 「東伯郡誌」
  • 「赤碕町誌」