矢鍋永三郎

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矢鍋 永三郎(やなべ えいざぶろう、1880年明治13年)3月15日[1] - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚実業家

経歴[編集]

岡山県出身。第一高等学校を経て、1907年(明治40年)に東京帝国大学法科大学仏法科を卒業した[1]統監府書記官となり、日韓併合後、財務部長、税関長として各地に勤務した[1]1917年大正6年)より朝鮮総督府事務官財務局関税局長、同理財課長、参事官黄海道知事を歴任した[1]

1925年(大正14年)に退官した後は、朝鮮殖産銀行理事、漢城銀行取締役、朝鮮金融組合聯合会長、朝鮮土地改良株式会社監査役、中川鉱業株式会社社長、国民総力朝鮮聯盟理事、不二興業株式会社社長などを務めた[2]

戦後、公職追放となった[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 大衆人事録 1930.
  2. ^ 大衆人事録 1943.
  3. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』189頁。

参考文献[編集]

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。 
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。