白虎文
白文虎(はくこぶん、生没年不詳)は、中国三国時代の人物。涼州胡族の王。
生涯
延熙十年(247年)、涼州の隴西郡、南安郡、金城郡、西平郡で羌族の俄何、焼戈、伐同、蛾遮塞に加え治無載らが城邑を攻撃し、南から蜀軍を招くなど魏に対して反乱を起こした。郭淮や夏侯覇の軍により反乱軍は各個撃破されたが、治無載は部族を率いて蜀軍に帰順し、姜維がこれを収容した。涼州の異民族の王である白虎文も同様に部族を率いて帰順し、彼らは成都から北西に位置する繁県に移住した[1]。
蜀漢の滅亡後は涼州に戻ったとみられ、鮮卑の樹機能の乱に参加している。薬蘭泥とともに泰始六年(270年)には秦州刺史・胡烈を万斛堆(安定郡の沙山)で殺害。翌七年(271年)には北地郡の胡族と金城を攻め、青山(北地郡)で涼州刺史・牽弘を包囲して殺害した[2]。