由良忠繁

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由良忠繁
時代 江戸時代前期
生誕 慶長14年(1609年
死没 寛永16年2月15日1639年3月19日
改名 長繁(初名)、忠繁
別名 五郎八、新六郎、市兵衛(通称)、貞長
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川秀忠家光
氏族 由良氏
父母 父:由良国繁
兄弟 貞繁忠繁横瀬貞長長尾宣景室、
女子
近藤用可
貞房貞満
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由良 忠繁(ゆら ただしげ)は、江戸時代前期の高家旗本由良家3代当主。

略歴[編集]

慶長14年(1609年)、由良国繁の次男として誕生。

元和7年(1621年)、兄・貞繁の死去により、家督を相続する。ただし、御目見をしていなかったために知行7000石を1000石に減らされる。「のち大沢基重が務に准じ近侍す」(『寛政重修諸家譜』)とあり、高家職に準じた職務を担当していたようである。寛永11年(1634年)、書院番に列し、徳川家光の上洛に従う。その後、辞職したという。

寛永16年(1639年)2月15日、死去。享年31。