牛島謹爾
牛島 謹爾(うしじま きんじ、1864年 - 1926年3月27日)は、日本の「馬鈴薯王」、アメリカ合衆国カリフォルニア州の開拓者。
福岡県三潴郡鳥飼村(現久留米市)出身。実家は農家。1885年に上京して三島中洲に師事する。東京商業学校(現一橋大学)予科進学も、東京商業学校本科不合格。1888年に渡米。1891年、カリフォルニア州の一沼地を開拓し馬鈴薯を作り始め、励精苦闘、たちまち良種の大量生産に成功し、また巧みな販売術をもって市場を制し、白人に高い信用を博し、一躍「牛島のポテト」の声価を多角した。
1908年からは在米日本人会の初代会長として、頻発する排日問題を巧みに処理した。1926年、日本へ帰国する途中、ロサンゼルスで死去。その功績に対し、勲四等旭日章が追贈された。
参考文献
『花は一色にあらず―アメリカで「ポテトキング」と呼ばれ日本人の心を伝えた牛島謹爾』山田義雄 (著)