源義広 (毛利治部丞)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Uraniwa (会話 | 投稿記録) による 2019年4月28日 (日) 08:17個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

源 義広(みなもと の よしひろ、生没年不詳)は平安時代末期、鎌倉時代初期の武将。治部丞毛利義広とも。源義家(八幡太郎義家)の七男・源義隆の長男。子に毛利義昭。弟に源頼隆高松定隆らがいる。

父以来の相模国愛甲郡毛利庄を相伝し、鎌倉幕府御家人となる(源姓毛利氏の祖)。子孫は美濃国に至り、摂津源氏系の美濃源氏土岐氏をはじめ、斎藤氏織田氏豊臣氏徳川氏と主家を転じ、尾張藩の藩士となる。子孫には毛利広盛毛利広義などがいる。