源俊隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2022年1月28日 (金) 05:57; イエスタディ・ワンスモア (会話 | 投稿記録) による版(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
 
源 俊隆
時代 平安時代後期
生誕 不明
死没 不明
官位 正五位下皇太后宮亮
主君 鳥羽天皇
氏族 村上源氏
父母 父:源師隆、母:藤原為房の娘
兄弟 俊隆師経、上西門院一条
藤原為隆の娘
隆暁、晴俊、皇嘉門院別当
テンプレートを表示

源 俊隆(みなもと の としたか)は、平安時代後期の貴族歌人村上源氏大蔵卿源師隆の子。官位正五位下皇太后宮亮

経歴[編集]

元永元年(1118年)10月2日に藤原忠通により開かれた「内大臣家歌合」に名前がある。『中右記』の記録によれば、元永3年(1120年)当時治部少輔を務めていたようである。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ または明俊。

出典[編集]