津田正直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

津田 正直(つだ まさなお、文化7年(1810年) - 弘化3年5月24日1846年6月17日[1])は、加賀藩の重臣、人持組津田玄蕃家第10代当主。

父は津田正隣。養父は津田正矩。子に津田正邦室。養子に津田正行通称権平、修理。

生涯[編集]

宗門奉行、馬廻頭を務めた津田正隣の子として生まれる。天保14年(1843年)、本家の正矩の遺跡を相続する。能登一国縮方となり、能登国の海防を担当する。弘化元年(1844年)、任地能登の海岸を巡検する。

弘化3年(1846年)死去。享年37。

脚注[編集]

  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)p.718

参考文献[編集]