池田長休

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Cewbot (会話 | 投稿記録) による 2022年9月3日 (土) 02:39個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (切れたアンカーリンクを修復: 2022-09-03 #近世大名池田氏→池田氏#近世大名池田家)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

 
池田長休
時代 江戸時代後期
生誕 天明3年(1783年
死没 不明
別名 伊三郎(通称)
官位 従五位下加賀守甲斐守
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家斉家慶
氏族 池田氏(長賢流)
父母 池田清弥牧野忠知
立花種周娘辰姫
長顕長発松平勝実室ら
テンプレートを表示

池田 長休(いけだ ながのり)は、江戸時代後期の旗本通称は伊三郎。官位従五位下加賀守甲斐守

略歴

天明3年(1783年)、7000石の旗本池田清弥の次男として江戸にて誕生。母は牧野忠知の娘。

寛政6年(1794年)8月、11代将軍・徳川家斉に拝謁する。同年9月、世子徳川家慶山王社参詣に騎馬で供をする。寛政8年(1796年)11月、父清弥が不行跡のため押込隠居となり家督相続するが、父の処分で拝謁を止められる。寛政9年正月、処分を解かれ許される。御書院番頭御側衆などを務め、天保12年(1841年)8月病気のため辞職する。

系譜

先代
池田清弥
池田家(長賢流)
8代
次代
池田長顕