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橘 以政(たちばな の もちまさ、生没年不詳)は、平安時代末期の官人。筑後守橘以長の子。橘以経・橘以輔・政舜の父。橘氏長者。
蔵人・摂津守・筑後守・中宮亮などを歴任し、正四位下に至った。養和元年(1181年)8月に九条兼実の家司となり、文治3年(1187年)7月造興福寺次官となった。仁安元年(1166年)『橘逸勢伝』を撰している。橘氏長者は長子の以経が継承した。