横山隆貴

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横山 隆貴(よこやま たかおき、文政10年11月13日1827年12月30日) - 安政5年4月20日1858年6月1日))は武士加賀藩加賀八家横山家の嫡男。加賀八家横山家第12代当主(名目上)[1]

父は加賀藩年寄横山隆章。子は横山隆平通称は三郎、求馬亮、大膳。

人物

加賀国金沢(現・石川県金沢市)出身。文政10年(1827年)11月13日、加賀藩年寄横山隆章の長男として生まれる。天保15年(1844年)、新知2500石を与えられ、藩主前田斉泰に近侍した。安政5年(1858年)4月20日、父に先立って死去した。墓所は石川県金沢市野田山墓地。嫡男の隆平は隆章の家督を嫡孫承祖し、明治33年(1900年)に男爵に叙され華族となっている。隆興は隆平と共に銅山経営で財を成した。

脚注

  1. ^ 「加賀八家「殿様」たちの末裔 藩主支えた絆 旧男爵家の誇りは今も」『月刊北国アクタス』2014年8月号

参考文献

  • 「幕末維新人名事典」
  • 「加能郷土辞彙」