楊昂
楊 昂(よう こう、生没年不詳)は、中国の後漢時代末期の武将。
正史の事跡
姓名 | 楊昂 |
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時代 | 後漢時代 |
生没年 | 〔不詳〕 |
字・別号 | 〔不詳〕 |
出身地 | 〔不詳〕 |
職官 | 大将または将軍 |
爵位・号等 | - |
陣営・所属等 | 張魯 |
家族・一族 | 〔不詳〕 |
漢中を支配していた張魯配下の大将。建安17年(212年)、涼州の馬超が隴上で再び蜂起した際に、楊昂は張魯の命により、馬超を支援した。この年の8月に涼州刺史韋康が馬超に降伏すると、馬超は楊昂に命じて韋康を殺害させている。その後、楊昂は張魯の下へ帰還した。
建安20年(215年)7月、曹操が張魯討伐のために陽平関を攻撃してくると、楊昂は、張魯の弟張衛、同僚の楊任と共に関を守備し、一時は曹操軍を撃退した。しかし、曹操は高祚らが率いる別働隊に命じて夜襲させたために、漢中軍は大敗し、楊任は戦死した。この後の楊昂の行方は定かではない。
物語中の楊昂
小説『三国志演義』でも登場するが、ここでは無能な将軍として描かれている。楊任と共に陽平関を守るが、楊任の諫止も聞かずに無謀な出撃を行い、簡単に撃破される。最後は、曹操配下の張郃に討ち取られた。