桜任蔵

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桜 任蔵(さくら じんぞう/にんぞう[1]文化9年〈1812年〉 - 安政6年7月6日1859年8月4日[2])は、幕末武士水戸藩士で、尊皇攘夷運動家。

名は真金[1]幼名は一雄[1]は月波[1]藤田東湖に入門し、任蔵と名乗る[1]。村越芳太郎などの変名がある。本姓は小松崎[3]

人物[編集]

江戸において、撃剣家・金子健四郎の旧道場を住居とし、『大日本史』の印刷製本を引き受けていた[1]

安政の大獄のおり、任蔵は大坂へ逃れ、妻・春子と子・欽一郎は勝下村の小沼秀実(のちの田口秀実)宅にかくまわれる[4]大坂で病没、享年48。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 『旭村の歴史 通史編』426頁。
  2. ^ 桜任蔵』 - コトバンク
  3. ^ 「開港のひろば」第124号 2014(平成26)年4月19日発行(2022年6月5日閲覧)
  4. ^ 『旭村の歴史 通史編』427頁。

参考文献[編集]

  • 旭村史編さん委員会『旭村の歴史 通史編』(旭村教育委員会、1998年)

外部リンク[編集]