林田登

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林田 登(はやしだ のぼる、1850年嘉永3年7月[1]) - 1911年明治44年)1月8日[1])は、明治時代の政治家貴族院多額納税者議員熊本県下益城郡隈庄町長。

経歴

熊本県出身[1]。1883年(明治16年)以降、下益城郡旧廻江郷連合会議員、下宮地村会議員、隈庄町会議員、同町長、熊本県会議員、同農会議員、熊本県農工銀行設立委員、肥後農工銀行監査役などを歴任した[1]

1900年(明治33年)熊本県多額納税者として貴族院議員に互選され[1]、同年11月1日から[2]1901年(明治34年)6月6日まで[3]在任した。

脚注

参考文献