松本良甫

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松本 良甫(まつもと りょうほ、文化3年(1806年) - 明治10年(1877年1月6日)は、幕末から明治初期の蘭方医師。祖父は幕府奥医師の松本善甫、父は町医師の松本良甫。松本良順の養父。

生涯[編集]

幕府奥医師であった祖父善甫は天明6年(1786年)改易され、以来民間にあったが、弘化3年(1846年)8月3日、再び幕府に召出され60年ぶり松本家再興、家禄100俵を与えられ小普請医師となる。嘉永2年(1849年)12月16日、寄合医師に進む。安政5年(1858年)、大槻俊斎ら江戸在住の有力蘭方医83名による、お玉が池種痘所設立に醵金・参画する。同年10月16日、伊東玄朴の上申により、吉田収庵とともに奥詰医師に進み製薬所掛となる。同日、転科を許され本道(内科)となる(松本家は代々口科(歯科)を業としていた)。文久3年(1863年)11月9日、奥医師に進む。文久4年(1864年)2月18日、法眼に叙せられる。松本家の墓所は伊皿子・大円寺であったが、谷中霊園に移されている。