松山鏡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松山鏡は、

  1. 日本伝説のひとつ。
  2. 落語演目の一つ。以下ではこれについて詳述する。

松山鏡(まつやまかがみ)は古典落語の演目の一つ。原話は、古代インドの民間説話を集めた仏典百喩経」、第三十五巻の「宝篋(ほうきょう)の鏡の喩(たとえ)」。

主な演者として、8代目桂文楽など。

あらすじ[編集]

無二膏や万能膏の効き目より、親孝行はなんにつけても…

舞台は越後の松山村。両親が死んで十八年間、ずっと墓参りを欠かした事がない正助という男が、お上の目に留まりご褒美を頂戴することになった。

村役人に付き添われ、役所に出頭してきた正助に、地頭が何か欲しい物はないかと質問。
この正助は無欲な男で、「自分は当たり前のことをしたまで」と地頭があげたご褒美をすべて辞退した。

それでも何かしてあげたい地頭は、「どんな無理難題でもご領主さまのご威光でかなえてとらすので、何なりと申せ」と質問。
それに対する、正助の答えは意外なものだった。

「おとっつぁまが死んで十八年になるが、夢でもいいから一度顔を見たいと思っているので、どうかおとっつぁまに一目会わせてほしい」

地頭は唖然。しかし、正助の純粋な気持ちに感銘し、何とか叶えてあげたいと思案した。

名主の権右衛門に訊ねると、正助の父親は四十五で他界し、しかも顔はせがれに瓜二つだという。
これで解決策を思いついた地頭は、家来に命じて鏡を一つ持ってこさせた[1]

地頭に言われるまま、正助が鏡の中を覗くと…?

「おとっつぁん!?」

この松山村は田舎と言う事で、まだ『』というものを誰も見たことがない。

正助も映っていた自分の顔を見て、おやじが映っていると勘違い。感激して泣きだした。

その様子を見ていた地頭は、自ら筆を取って鏡の箱に【子は親に 似たるものをぞ 亡き人の 恋しきときは 鏡をぞ見よ】と歌を添え、「余人に見せるな」と言って下げ渡す。

それからと言うもの、正助は納屋の古葛籠の中に鏡を入れ、女房にも秘密にして、朝夕覗き込んでは挨拶をしていた。
そんな亭主の様子を、女房のお光が不審に思い、亭主の留守に葛籠をそっとのぞいて…驚いた。

「何だぁ、このアマ!?」

こちらも鏡を見たことがないので、写った自分を夫の愛人と勘違い。嫉妬に狂って泣きだし、帰ってきた亭主につかみ掛かったので大喧嘩になってしまう。

その時、ちょうど表を通りかかった隣村の尼さんが、驚いて仲裁しに飛び込んできた。

両方の言い分を聞き、自分が談判すると鏡を覗いて…。

「ふふふ、正さん、お光よ、けんかせねえがええよゥ。おめえらがあんまりえれえけんかしたで、中の女ァ、決まりが悪いってになって詫びている」

脚注[編集]

  1. ^ この鏡は三種の神器の一つ、八咫鏡の複製品。