本多政遂

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本多政遂
時代 江戸時代前期
生誕 慶長18年(1613年)?
死没 寛永15年7月29日1638年9月7日
別名 政久
戒名 哲秀
墓所 東京都台東区西浅草の徳本寺
官位 従五位下、大隅
幕府 江戸幕府
下野榎本藩
氏族 本多氏
父母 父:本多政重、養父:本多忠純
兄弟 政次政遂政朝戸田政勝政長
正室:本多忠純の娘
犬千代
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本多 政遂(ほんだ まさもろ)は、江戸時代前期の大名下野榎本藩の第2代藩主。

生涯

慶長18年(1613年)、加賀藩家老本多政重の次男として生まれる(生年には慶長15年(1610年)説もある)。寛永3年(1626年)、従兄の忠次が17歳で早世したため、叔父の榎本藩主本多忠純の婿養子として迎えられた。

寛永8年(1631年)12月13日に養父が家臣に暗殺されると、寛永8年(1632年)8月26日に家督を継いだ。寛永12年(1636年)に叙任している。寛永15年(1638年)7月29日に死去した。享年26。家督は長男の犬千代が継いだ。