木曾家豊

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木曾家豊
時代 室町時代
生誕 不詳
死没 不詳
幕府 室町幕府
主君 足利義政
氏族 木曾氏
父母 木曾家賢
兄弟 家豊、家範、家益、家盛
義元、義勝
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木曾 家豊(きそ いえとよ、生没年不詳)は、室町時代の武将。木曾氏の当主。家賢の子。子に義元がいる。

経歴

美濃国小木曾荘の領主。応仁元年(1467年)からの応仁の乱では東軍側に付く。文明5年(1473年)、家豊は将軍足利義政の命をうけ[1]小笠原家長と共に東美濃攻略のため、恵那郡大井城土岐郡釜戸村にあった荻島城を攻め落とした[2]。その後、木曾氏は天文24年(1555年甲斐武田氏に降るまでの期間、美濃国恵那郡苗木遠山氏を統制下においた。

脚注

  1. ^ 『足利義政御教書』
  2. ^ 『11月21日付小笠原左衛門佐宛細川政国書状』