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曹 鼎[1](そう てい、生没年不詳)は、中国後漢末の人物。曹操らの曹氏の一族で、曹萌の子。宦官曹騰の弟(『後漢書』党錮列伝)[2]。
河間国の相の時、冀州刺史の蔡衍が、曹鼎が汚職をしていると弾劾した。
その時に曹鼎の兄である中常侍の曹騰は、当時の大将軍梁冀に曹鼎を助けるよう蔡衍へ手紙を書かせたが、蔡衍はそれに答えず、曹鼎を逮捕し投獄した(『後漢書』党錮列伝)。
脚注
- ^ 曹洪の伯父である曹鼎との関係は未詳である。石井仁『曹操―魏の武帝』(新人物往来社、2000年)は、出土資料に基づき、曹洪の伯父たる曹鼎・曹騰の弟たる曹鼎・さらに曹休の祖父たる呉郡太守を同一人物とする。そのうえで曹鼎は曹騰の弟ではなく兄の子とする)。
- ^ 盧弼『三国志集解』は、『三国志』武帝紀裴注では曹騰が末弟とされていることから、或いは曹鼎は曹騰の兄かとする趙一清の説を引く。