日根野時盛

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日根野時盛
時代 南北朝時代
生誕 不明
死没 不明
別名 二郎[1]二郎左衛門[要出典]
氏族 日根野氏
父母 父:日根野盛治[要出典]
国盛[要出典]
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日根野 時盛(ひねの ときもり)は、南北朝時代武将

経歴・人物

和泉日根野荘地頭で北朝方に属した[1]貞和4年/正平3年(1348年)1月には高師泰に属して和泉槌丸城を警固する[2]文和2年/正平8年(1353年8月16日畠山国清が時盛の軍功を幕府に報告し、翌日、軍功として尾張柏井荘下条の一部を充行われた[2]

脚注

  1. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『日根野時盛』 - コトバンク
  2. ^ a b 安田 1985, p. 486.

参考文献

  • デジタル版 日本人名大辞典+Plus. “日根野時盛”. コトバンク. 2019年1月8日閲覧。
  • 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、1985年11月。ISBN 4404013027