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敬侯 (趙)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
敬侯
4侯
王朝
在位期間 前387年 - 前375年
姓・諱 嬴章
生年 不詳
没年 前387年
列侯

敬侯(けいこう、? - 紀元前375年、在位:紀元前387年 - 紀元前375年)は、中国戦国時代君主

生涯

父は列侯紀元前400年に父が死去したときは幼少のため、叔父の武公が跡を継いだ。列侯は武公に対してその次に敬侯に跡を継がせるように遺言していたが、武公は自分の息子である嬴朝に譲ろう考え敬侯を疎み始めた。敬侯も武公に疎まれていることを察して、彼が健在な間は暗愚に振舞っていたという。前387年に武公が死去すると、先々代の息子、すなわち嫡流の息子であると宣して周囲の支持を取り付け、趙朝の武力蜂起を中牟河南省湯陰県西部)から邯鄲河北省邯鄲)に遷都した直後に邯鄲で鎮圧した。

嬴朝は武侯を頼って落ち延び、武侯は呉起を大将とした軍を趙に送ったが、魏軍の作戦の齟齬から趙軍は勝利し、嬴朝を討ち果たして王位を不動のものとした。

前375年に死去した。

参考文献

先代
武公
の王
第4代:前387年 - 前375年
次代
成侯