愛知白菜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。掬茶 (会話 | 投稿記録) による 2020年11月17日 (火) 08:40個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (画像提供依頼のカテゴリ付け替え)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

愛知白菜(あいちはくさい)は、ハクサイの一種。

歴史

1875年明治8年)、当時の清国より山東白菜が日本に持ち込まれた[1]。愛知県栽培所において栽培に成功すると、1885年(明治18年)に愛知郡荒子村在住の野崎徳四郎が栽培に着手した[1]。ただし、当時はほとんどが結球するに至らなかった[1]。品種改良を繰り返し、1901年(明治34年)頃、株の中央を一回束縛するだけで結球するようになったという[2]1917年大正6年)、愛知県農事試験場において愛知白菜と命名される[3]。『大正昭和名古屋市史』は、当時の主要生産地として、堀越町大蟷螂町打出町中島新町鳴尾町弥富町上山町広路町の名を挙げている[3]。その共通した特徴としては、庄内川下流および天白川沿岸の砂質土壌であることが挙げられている[3]

脚注

  1. ^ a b c 愛知郡役所 1923, p. 441.
  2. ^ 愛知郡役所 1923, p. 442.
  3. ^ a b c 名古屋市 1953, p. 266.

参考文献

  • 愛知郡役所 編『尾張国愛知郡誌』愛知郡役所、1923年2月28日。 
  • 名古屋市 編『大正昭和名古屋市史 第1巻 緒論及原始産業篇』名古屋市、1953年11月1日。