愛治村

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あいじむら
愛治村
廃止日 1955年3月31日
廃止理由 合併(新設合併)
愛治村近永町好藤村泉村三島村広見町
現在の自治体 鬼北町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 愛媛県
北宇和郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 吉田町野村町黒瀬川村三島村泉村好藤村
愛治村役場
所在地 愛媛県北宇和郡愛治村大字清水
座標 北緯33度18分15秒 東経132度41分30秒 / 北緯33.30417度 東経132.69153度 / 33.30417; 132.69153座標: 北緯33度18分15秒 東経132度41分30秒 / 北緯33.30417度 東経132.69153度 / 33.30417; 132.69153
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愛治村(あいじむら)は、1955年(昭和30年)まで愛媛県北宇和郡にあったであり、現在の鬼北町の北部の農山村である。

昭和の合併でいったん広見町に、さらに平成の合併で鬼北町となり、現在に至っている。

地理[編集]

現在の鬼北町の北部。大宿川の流域。御開山などに囲まれた農山村。北は御開山に連なる山々で野村町や城川町などに接している。土屋峠が野村町との境。南は清水から南に下った桜ヶ峠にて近永町に接する。大宿川が、大宿の南山ろくに源流を発し、清水にて畔屋川と合流し、村をほぼ南北に貫流し、隣村の泉村大字小倉にて広見川と合流する。いずれも四万十川の支流の一つである。清水に役場や学校などがあり、村の中心となっている。

地名の由来
 不詳。なお、大宿の由来は加藤清正の軍勢が長宗我部氏を討って当地に投宿した由来にもとづくものといわれる。と云う説もあるが、大宿の由来は平安京の大内裏にあった大宿直(おおとのい)に由来し河原淵殿大宿筑前守源朝臣安正の先祖である源正が治めていた事に由来するという説もある。支城に夷が森城、泉が森城などがある。戸田勝隆によって西園寺氏の旧臣が追放され大宿日向守諸正も下城する。

歴史[編集]

藩政期

明治以降

  • 1889年(明治22年)12月15日 - 町村制・市制施行時に、大宿(おおじゅく)、生田(いくた)、清水(せいずい)、畔屋(あぜや)、西野々(にしのの)の5箇村の合併により愛治村となる。
  • 1922年(大正11年)- 四国自動車株式会社によって清水-近永-宇和島のバス路線の運行始まる
  • 1955年(昭和30年)3月31日 - 近永町・三島村・泉村・好藤村との合併により広見町となる。
愛治村の系譜
(町村制実施以前の村) (明治期)         (昭和の合併) (平成の合併)
            町村制施行時
大宿 ━━━━┓
生田 ━━━━┫
清水 ━━━━╋━━━愛治村━━━━━━━━━━━┓
畔屋 ━━━━┫                 ┃
西野々━━━━┛                 ┃昭和30年3月31日
                         ┃合併
           近永町━━━━━━━━━━━╋━広見町━━┳━━━┓平成17年1月1日
           好藤村━━━━━━━━━━━┫      ┃   ┃合併
           泉村━━━━━━━━━━━━┫      ┃   ┣━鬼北町
           三島村━━━━━━━━━━━┛      ┃   ┃
                           三間町━━┻━あ ┃
                           日吉村━━━━━━┛

あ – 平成17年8月1日宇和島市と合併
(注記)近永町以下の合併前、および日吉村の合併以前の系譜はそれぞれの記事を参照のこと。

地域[編集]

明治の合併前の村である、大宿、生田、清水、畔屋、西野々の5箇村がそのまま大字となり、広見町となってからも続き、鬼北町になってからも続き現在に至る。(例 鬼北町大字大宿)

大宿川の上流から下流に向かって、大宿、生田、清水、西野々の順に集落が並び、畔屋はさらに大宿川支流畔屋川の流域。大宿川に沿って谷底平地が形成され水田耕作が営まれている。

行政[編集]

役場
大字清水に置かれていた。

産業[編集]

農業
米、麦、栗、桑などを産する。養蚕も営まれる。広見町になってから畜産も導入された。

交通[編集]

村内に鉄道はない。 宇和島自動車株式会社のバスが運行している。

民俗[編集]

  • 五つ鹿踊り
  • 実盛送り

名所[編集]

  • 竜王滝

関連項目[編集]