張敞 (遼東)

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張 敞
後漢
出生 不詳
死去 不詳
主君 公孫康
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張 敞(ちょう しょう、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代にかけての軍人公孫康の部下。

人物

公孫氏政権第二代の公孫康は、建安年中に、前漢紀元前108年朝鮮半島に設置した植民地である楽浪郡の南半分である屯有県以南を裂いて帯方郡を分置すると、公孫模、張敞らを三韓の地に派遣して、これらを討伐させた[1]。これによって以後三韓、濊は帯方郡に属するようになった[1]

脚注

  1. ^ a b 西嶋定生『日本歴史の国際環境』東京大学出版会UP選書 235〉、1985年1月1日、37頁。ISBN 4130020358