平良門

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歌川芳虎画『肉芝仙人より妖術を授かる図』。天下を狙う平良門が仙人から妖術を授かる場面を描いた画。

平 良門(たいら の よしかど、生没年未詳)は、平安時代中期の伝説上の武将、もしくは妖怪

伝承

「新皇」平将門の長子と伝えられており、「良兌」「良忩」とも呼ばれる[1]。父が平将門の乱で戦死すると、一族と郎党を率いて、いちはやく挙兵を模索して、奥州西国を巡ったとされる[要出典]

江戸時代中期に入ると、すでに鬼門に入った良門の存在は妖怪あるいは悪鬼として近松門左衛門人形浄瑠璃歌舞伎、舞台劇などに登場し、源頼光によって退治された姿として描かれている。

脚注

  1. ^ 『相馬系図』による。

出典

  • 関八州繋馬(かんはっしゅうつなぎうま)、享保9年(1724年)1月初演。

関連項目

外部リンク