平時範

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平 時範(たいら の ときのり、天喜2年(1054年) - 天仁2年2月10日1109年3月13日))は、平安時代後期の官人正四位下内蔵頭右大弁検非違使因幡守桓武平氏高棟王流の出身で、父は平定家。母は藤原家任の娘。子に平実親がいる。

藤原師通の家司を務める。仏画をよくしたといい、また文筆にも優れていた。三事兼帯経験がある実務家であった。康和元年(1099年)に因幡守として任地へ赴いたときの記録が日記『時範記』に残っており、当時の受領の行動や、因幡の状況を知ることができる貴重な史料となっている。天仁元年(1108年出家して法名を定慧(または貞慧)と称し、翌年卒去した。

参考文献

  • 木本好信「『時範記』と平時範」(『平安朝日記と逸文の研究』、おうふう、1987年
  • 宮崎康充「平時範に関する覚書」(『書陵部紀要』41号、1989年