岡秀子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Anaka Satamiya (会話 | 投稿記録) による 2021年9月25日 (土) 09:31個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

岡 秀子(おか ひでこ 1953年2月14日- )は、鹿児島県瀬戸内町出身[1]フェンシング選手、指導者。

成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)卒業。日本体育大学卒業後、下北沢成徳高等学校教員となった。1976年モントリオールオリンピックのフルーレ団体に出場した[2]。1980年のモスクワオリンピック代表にも選ばれていたが日本がボイコットしたことから出場できなかった悲運の選手である。モントリオールオリンピックのリベンジを誓い4年間猛練習をして、結果を残し日本代表に選出されるが夢は叶わなかった。現在、フェンシング部の後進の指導に携わっている。

全日本フェンシング選手権大会でも女子フルーレで1978年、1980年に優勝している。

脚注

  1. ^ あげ慢でぃ!
  2. ^ 岡秀子”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。

関連項目