岡林次男

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岡林 次男(おかばやし つぐお、1907年1月1日 - 1982年10月23日)は、日本の経営者工学博士高知県[1]

経歴

1935年大阪帝国大学工学部機械学科を卒業し、同年にクラレに入社[1]1959年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1971年5月に副社長に就任し、1975年5月に社長に昇格した[1]

1972年1月に学位を取得した[1]

1982年10月23日腎不全のために死去[2]。75歳没。

脚注

  1. ^ a b c d 人事興信所 1981, お333頁.
  2. ^ 1982年 10月24日 日本経済新聞 朝刊 p23

参考文献

  • 人事興信所 編『人事興信録 第31版 上』人事興信所、1981年。