山埜秀

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山埜 秀(やまの ひで、生没年不詳)とは明治時代東京地本問屋

来歴[編集]

宝山堂と号す。明治時代に東京府神田区神保町6番地において地本問屋を営業している。明治28年(1895年)に小林清親の大判3枚続の錦絵「威海衛鹿角嘴砲台攻撃之図」を出版したことが知られる。『浮世絵の基礎知識』は、「幕末の山秀と同じかどうか不明。」とする。

参考文献[編集]