山内 倫氏(やまうち ともうじ、明暦3年(1657年) - 宝永6年2月2日(1709年3月12日))は、江戸時代前期の土佐藩の重臣。本姓安東氏。幼名は省太郎。通称は半左衛門、蔵人。
明暦3年(1657年)、土佐国宿毛に山内節氏の長男として生まれる。母は山内豊吉の娘の寛。
父の死後、元禄12年(1699年)に家督を相続し、第4代宿毛領主となる。宝永元年(1704年)に帰国する。宝永4年(1707年)に大地震が起こり宿毛の町は壊滅、その復興に取りかかり、志半ばで宝永6年(1709年)に53歳で没。法名は高照院寛山鳳仁。跡は晴氏が継いだ。
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