尾田信忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

尾田 信忠(おだ のぶただ、1869年明治2年〉 - 1957年昭和32年〉4月28日[1])は、日本の教育者錦鶏間祗候

経歴[編集]

新潟県に上田義信の長男として生まれ、尾田信通の養子となった。1895年(明治28年)、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業。陸軍教授となり、東京陸軍地方幼年学校教頭、教育総監部出仕を経て、陸軍士官学校教頭を務めた。

1935年(昭和10年)4月8日に退官し[2]、翌年に錦鶏間祗候となった。

1957年(昭和32年)4月、脳溢血で死去した[1]

栄典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『偕行 第69号』8頁。
  2. ^ 『官報』第2477号、昭和10年4月9日。
  3. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第12版(上)』人事興信所、1939年。 
  • 『偕行 第69号』偕行社、1957年。