小山田之知

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小山田 之知(おやまだ ゆきとも、生年不明 - 寛永13年9月6日1636年10月4日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士真田氏の家臣。通称は主膳正。

父は小山田茂誠、母は真田昌幸の長女・村松殿。妻は幕府旗本滝川一積の養女で、宇多頼次の娘。

初め真田姓を称し、真田主膳正。その後、真田姓を返上したが、小山田とは名乗らず、小野に改めた。子の代に小山田に復姓している。

生涯

生年は不明であるが、天正10年(1582年)3月に武田氏が滅亡した際に、小野村に身を隠したという伝承があり、事実とすればこれ以前の生まれとなる。

父の茂誠は真田一門で、慶長5年(1600年)の関が原の戦いにおいて真田昌幸とともに西軍に属するが、西軍の敗北に伴い茂誠は昌幸嫡男の信之の家臣となる。慶長7年(1602年)2月18日、真田信之から「之」の字を与えられた。慶長11年(1606年)3月、父・茂誠とは別に100貫文の知行を与えられる。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣後、叔父の真田信繁との交流があり、父と同様に信繁から書状が送られている。

元和8年(1622年)に信之の松代移封に従い、寛永5年(1628年)10月3日、知行969石を与えられた。この頃までに家督を相続した。

寛永13年(1636年)に死去。法名は落葉一歩。墓所は長国寺

参考文献

  • 丸島和洋『真田一族と家臣団のすべて』 KADOKAWA、2016年、p126-p128