家原氏主

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家原 氏主(いえはら の うじぬし、延暦20年(801年) - 貞観16年7月30日874年9月14日)は、平安時代初期から前期にかけての貴族のち宿禰朝臣[1]。家原富依の子。官位従五位上主税頭

経歴

嘉祥3年(850年文徳天皇即位に伴って従五位下に叙せられ、仁寿2年(852年主計頭算博士に任ぜられる。以降長く算博士を務め、斉衡3年(856年安房守天安3年(859年伯耆守と一時的に地方官を務めるが、いずれも年内に算博士に復している。またこの間、主計頭玄蕃頭勘解由次官主税頭なども兼務する一方、天安2年(858年)従五位下、貞観9年(867年)従五位上と昇進を果たしている。

貞観14年(872年)一族とともに宿禰姓から朝臣姓に改姓した際、天長年間に父・富依が家原氏の出自を後漢光武帝としたのは誤りで、本来は宣化天皇の第二皇子(火焔皇子か?)の後裔である旨、氏主が述べている。

貞観16年(874年)7月30日卒去享年74。最終官位は従五位上行算博士兼但馬守

官歴

六国史』による。

脚注

  1. ^ 天長3年に氏主の父・富依が家原連に改姓しており、同じく氏主も改姓したと考えられるが、元の氏姓は不明。

参考文献