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宰 孔(さい こう)は、周公旦の末裔。周公孔・宰周公とも。宰姓(中国語版)の始祖。周の襄王時期に太宰(中国語版)に任じられ、襄王の理政を輔佐した。
襄王元年(紀元前651年)に斉の桓公が中原で覇を唱え、魯・衛・宋・許・鄭・曹の各国の諸侯を葵丘(現在の河南省商丘市民権県)で会盟を行った。宰孔は襄王の代理で出席し、周王室の祖先(文王・武王)の祭祀に用いた文武の胙と赤色の矢を下賜した。春秋の覇主と認めた。