安西徳兵衛

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安西徳兵衛

安西 徳兵衛(あんざい とくべえ、天保10年6月14日1839年7月24日) - 大正2年(1913年9月2日)は、日本の実業家、政治家。幕末から生糸貿易で財を成し、小野組でも活躍。横浜市会議員なども務めた。

生涯

1839年7月24日、安西彦惣の三男として、陸奥国二本松(現福島県二本松市)に生まれる[1]。明治2年(1869年)3月に分家[1]。明治3年(1870年)から横浜で生糸貿易業を行い成功[1]。また、郷里福島の生糸生産改良をもくろみ、小野組と協力して二本松製紙工場を設立[1]。後、小野組の整糸会社に入社[1]。1885年に会社が解散すると、東京の弁天通りに生糸売込商店を開き、国内有数の生糸商となり[1]、生糸輸出に貢献[2]。1897年、横浜火災海上運送信用保険を創立し、監査役となる[1]。羽二重組合役員、横浜市会議員、横浜商業会議所議員なども務めた[2]。また、公共事業にも様々な貢献をした[1]。後、横浜の別邸に隠居[1]1913年9月2日、病気により東京府下北品川長者町の別邸で死亡[1]。同月5日、品川正徳寺に埋葬[1]。戒名は「徳本院釋慧成士」[1]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 矢部信太郎編 (1914), 近代名士之面影. 第1集, 竹帛社, pp. 77 
  2. ^ a b 安西徳兵衛”. National Diet Library, Japan. 2013年6月2日閲覧。

外部リンク