天津条約 (1885年6月)
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6f/LiHungChang.jpg/220px-LiHungChang.jpg)
天津条約(てんしんじょうやく)は、1885年、清仏間に結ばれた、清仏戦争の講和条約である。
清国代表の北洋大臣李鴻章とフランス公使ユール・パトノートルによって締結されたため、「李・パトノール条約」とも呼ばれる。
清はベトナムに対する宗主権を放棄し、フランスの保護権と、中国南部における通商、鉄道建設をみとめた。
概要
トンキン戦争講和のため合意された天津停戦協定(李・フルニエ協定)[1]に基づき、1885年6月9日に清仏戦争講和のため清仏間で天津にて締結された。
癸未条約・甲申条約にて確立されたベトナム(アンナン及びトンキン)へのフランスの宗主権を認める内容となっており、中国側のベトナムに対する宗主権の放棄が明確となった。この結果、フランスはインドシナ植民地を確定し、植民地帝国を拡大した。
内容
脚注
関連項目
- 天津条約 (1885年4月)(「李・伊藤条約」とも呼ばれる。)
- 雲南問題