大阪事件

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大阪事件(おおさかじけん)とは、1885年に起こった自由民権運動の激化運動の一つである。

概要

この事件は1885年に起こった自由民権運動の激化運動の一つ。朝鮮に政変を起こし、日本国内の改革に結びつけようという発想に基づくものであった。

大井憲太郎を中心に、景山英子や旧自由党の一部が参加。朝鮮半島に渡って改革派の独立党(金玉均ら)を支援し、立憲体制を築こうという計画が立てられた。国内における自由民権運動が政府の弾圧のため閉塞したため、海外に進出することで日本の国威を発揚し、また国内改革をも図ろうと考えたものである。爆弾を製造したり、資金を集めるため強盗も行われたが、実行前に計画は漏れ、139人が逮捕された。大井らは1889年、憲法発布の恩赦によって出獄した。福田英子(景山の改姓)の著書、『妾の半生涯』には、このときの収監の状況が描かれている。

北村透谷は自由民権運動に参加していたが、大阪事件の際強盗に誘われたため、悩んだ末、運動を離脱した。しかし、のちに発表した長詩「楚囚之詩」には、この事件のおもかげがあるといわれている。

1887年、大阪市天王寺区にある壽法寺で大阪事件関係者の慰霊祭が行なわれ、慰霊碑が建てられた[1]。1995年に石碑が再建されている。

外部リンク

脚注

  1. ^ [1]