大空源太夫

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大空 源太夫(おおぞら げんだゆう、宝暦12年(1762年) - 寛政12年3月26日1800年4月19日)は[1]小野川部屋大坂相撲)、藤島部屋、八ツヶ峰部屋に所属した力士[2]熊本県鹿本郡出身[2](肥後国隈本山嘉新町)[1]。最高位は東前頭2枚目[1][2]

初土俵は天明2年(1782年)20歳[1]。天明5年(1785年)8月、大阪番付で西前頭23枚目となる[1]。寛政3年(1791年)11月、江戸番付で東二段目十二枚。寛政6年(1794年)11月、東二段目二枚[1]

江戸相撲としては、幕内通算 3場所 9勝9敗6分1預の成績を残した[2]

改名歴は、二見山 → 七ツ嶋 → 鷹ヶ嶽 → 七ツ嶋 → 大空 源太夫[3][2]

39歳で現役のまま死亡。墓所は墨田区両国回向院[1]

出典

  1. ^ a b c d e f g 飯田 2001, pp. 304–305.
  2. ^ a b c d e 相撲編集部 2001, p. 145.
  3. ^ 景山ら 1989, p. 70.

参考文献

  • 飯田昭一 編『史料集成 江戸時代相撲名鑑 上』大高利夫、日外アソシエーツ株式会社、2001年9月25日。ISBN 978-4816916472 
  • 景山忠弘、小池謙一 編『古今大相撲 力士事典』佐藤今朝夫、株式会社国書刊行会、1989年10月30日。ISBN 978-4336018786 
  • 「相撲」編集部 編『大相撲人物大事典』池田哲雄、株式会社ベースボール・マガジン社、2001年4月30日。ISBN 978-4583036403 

関連項目