大戸嵜岩枩

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大戸嵜岩枩(おおとざきいわまつ、1866年8月10日(慶應2年7月1日)-1928年12月28日)は、待乳山部屋尾車部屋陣幕部屋(大坂相撲)に所属した元力士。6代松ヶ根。本名は高橋岩松。現在の秋田県大曲市出身。167cm、86kg。最高位は東前頭2枚目(大阪相撲)。

経歴

1888年5月初土俵、1892年6月十両昇進。1893年5月に入幕を果たしたが脱走し、1896年から1899年までは大坂相撲に参加した。1900年1月に西前頭15枚目格で復帰する。そして1914年1月、実に47歳で引退した。江戸時代の生まれで、両国国技館十両の土俵をつとめた力士のひとりである。その後は松ヶ根を襲名したが、1926年1月に廃業した。

成績

  • 幕内23場所62勝96敗41休31分預

改名

大戸嵜→四ツ車→大戸嵜 [1] [2]

出典 

  1. ^ http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3521&l=j
  2. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709