大友正人

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大友 正人
名前
カタカナ オオトモ マサト
ラテン文字 OTOMO Masato
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1961-01-22) 1961年1月22日(63歳)
出身地 神奈川県
身長 170cm[1]
体重 65kg[1]
選手情報
ポジション FW
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

大友 正人(おおとも まさと、1961年1月22日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード

来歴[編集]

日本大学高校時代にチームのエースとして、第56回全国高校サッカー選手権へ出場。

卒業後は大学進学を目指して予備校に通っていたが、1979年のシーズン途中より、日本サッカーリーグ(JSL)1部に所属する読売クラブの選手として追加登録されると、同年のJSLカップでは準決勝・決勝戦合わせて3得点の活躍で、クラブに初タイトルをもたらした。その後も快足の左ウイングとして長きに渡りレギュラーに定着。80年代に世界的スーパースターであったアルゼンチンのディエゴ・マラドーナになぞらえて「和製マラドーナ」の異名をとった。また、1981年には青山学院大学二部(夜間)に合格し、サッカーと学業の両立を成功させた。

1980年2月6日、岡山・岡山県営陸上競技場におけるウイペシュティ・ドージャ(ハンガリー)との国際親善試合で日本代表デビューし[2]、国際Cマッチ2試合に出場。

1983年にはリーグ3位タイとなる5アシストを記録して、読売クラブのJSL初優勝に貢献した。

JSL1部通算105試合出場18ゴール19アシスト[3]

現役引退後、当時は無名だった武相高校サッカー部の監督に就任すると、2002年にインターハイ初出場、2009年には全国高校サッカー選手権初出場へと導き、神奈川県を代表するサッカー強豪校へと育て上げた。また、2003年に行われた静岡国体では神奈川県選抜の監督としてチームを率い、日本一の座に輝いた[4]

2015年4月よりクラブ・ドラゴンズ柏のコーチに就任。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1979 読売 4 JSL1部 9 6 2 3 2 1 13 10
1980 4 1 0 0 2 0 6 1
1981 11 15 1 1 0 2 0 18 1
1982 18 2 1 0 3 0 22 2
1983 17 3 3 0 3 0 23 3
1984 9 0 1 0 5 0 15 0
1985 18 2 0 0 2 0 20 2
1986-87 7 2 1 0 0 0 8 2
1987-88 5 0 1 0 4 2 10 2
1988-89 3 1 0 0 0 0 3 1
通算 日本 JSL1部 105 18 10 3 23 3 138 24
総通算 105 18 10 3 23 3 138 24

その他の公式戦

指導歴[編集]

  • 武相高校 監督
  • クラブ・ドラゴンズ柏
  • 横浜FC鶴見
  • かえつ有明中学 監督

参考文献・脚注[編集]

  1. ^ a b 『第67回 昭和62年度全日本サッカー選手権大会 天皇杯 プログラム』6頁
  2. ^ 代表TIMELINE | SAMURAI BLUE サッカー日本代表| 日本サッカー協会
  3. ^ 『日本サッカーリーグイヤーブック1989~90』(日本サッカーリーグ編 南雲堂 1989年)
  4. ^ 静岡国体祝勝会/スピーチ集 2014年2月25日閲覧。