哲人王 (プラトン)

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哲人王(英:Philosopher king)とはプラトンが『国家』において述べた理想国家の君主である。

概要

プラトンは、ある人が「善い」ということは「善を知ること」であり、逆に悪とは「善を知らないこと」であるという主知主義を展開した。そして、彼は哲学者の目標は感覚世界の背後にある実体であるイデア、そして最終的には善のイデアを見る・知ることであるとした。イデアを知るということはものの真実のあり方、性質を知るということであり、善のイデアを見る・知ることはとりもなおさず「善を知ること」であった。したがって、彼は、善のイデアを知った=善なる哲学者は最も物事を知り、知恵ある善き統治者たりうるとし、哲学者を王とする哲人王の思想を展開した。また、彼は哲人王育成の教育プログラムやその過程での厳しい選抜についても述べており、誰でも哲人王になれるわけではなかった。哲人王の候補者たちは数学体育音楽などの基礎科目・予備学科を習い、その過程で克己心や清貧などの得を身につけるべきであり、その上で哲学を学ぶ。プラトンはこのようにして将来の哲人王を育成するべであるとし、その過程で適性のない者をふるい落として厳しく選抜することを説いた。

プラトンは『国家』において哲学者を王とする理想国家の国政、他の政体(名誉王制、寡頭制民主制、そしてプラトンが最悪の政体だする僭主制)との比較を行い、哲人王にゆよる統治が最も優れているものであるとした。

受容と批判

近代以前『国家』はユートピア的な理想国家の思想と捉えられてきたが、19世紀イギリスでは哲人王の思想はエリート主義的な国家運営のモデルとして見られた。20世紀に入ってからは独裁国家イデオロギーの源泉のように見られるようになり、特にポパーの『開かれた社会とその敵』において哲人王はレーニンヒトラーに直結するものとして批判された[1]

  1. ^ 内山, p.485-486

参考文献