周徳鴻

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周徳鴻(しゅう とくほう/チャオ・デーホン、1884年 - ?)は、清末民初の技術者、官僚。字は伯彬。四川省巴県(現重慶市巴南区)出身。東京高等工業学校機械科卒業[1]

航空技師として北洋政府軍に加わり、奉天派に属する。国民政府でも空軍軍属として参加。

略歴

成都より官費生として日本に留学[2]。1911年(宣統三年)9月、学部中国語版(文部省に相当)の試験を受け最優等となり、工科進士の賞給を受ける[3]

辛亥革命後の1913年(民國二年)の間、四川公立工業專門学校(現四川大学)教員として機械工学や製図を教えていた[4]。1921年(民國十年)5月、北洋政府に加わり、郭世綰、盛紹章、黄耀栄らとともに北京航空署(署長:丁錦)附技師[5]

1924年(民國十三年)前後、奉天軍東三省巡閲使署航空処飛機修理廠副廠長、廠長[6][7]。 1925年(民國十四年)10月1日、東北航空司令部野戰修理廠廠長[8][9]。1926年2月、航空工廠廠長[10]。1927年8月、工兵上校(大佐に相当)[11]。1928年8月、東北航空大隊(大隊長:徐世英)副大隊長[12]。同年9月、日本の製造廠、航空学校、航空部隊を視察[13]。1929年(民國十八年)前後、東北邊防軍航空大隊大隊附[6],航空司令部部附[14]

1933年(民國二十二年)、中国科学社社員(工程科学組機工股)[15]。同年10月、銭昌祚、陳昌祖と航空機械学校準備委員会を設置し、創校計画草案を作成[16]。 1934年(民國二十三年)5月、南昌にて航空委員会が設立されると、第三処(総務処)処長[17]。 1937年(民國二十六年)1月4日、空軍三等機械正[18]。また同月、航空委員会第二庁第四処(技術処)第十一科(器材科)科長[17]。1938年(民國二十七年)3月、航空委員会技術庁器材処副処長[17]兼第十五科科長[19]。のち器材処処長[19]

1939年(民國二十八年)前後[20]より1942年(民國三十一年)4月[21]まで空軍第一飛機製造廠(昆明)廠長。1943年2月、航空委員会主席購料委員[22]

1946年(民國三十五年)、1934年より11年間続けていた航空委員会参事を辞し[23]、塘沽新港工程局副局長[24]。同年11月22日、空軍一等機械正(大佐相当)[25]。1947年8月14日、空軍一等機械正と共に予備役編入[26]。1948年(民國三十七年)、塘沽新港工程局局長[27][28]

1949年に台湾に去ったのち、交通部技正[29]台中地方法院中国語版推事[30]等の職に就いた。1980年前後に亡くなったとされる[31]

栄典

脚注

  1. ^ 《(民國三十二年)巴縣志》卷八,國内外學校畢業學生表,第32頁
  2. ^ 「成都之留學日本各生官費」隗瀛濤 趙清.《四川辛亥革命史料》下冊.四川人民出版社,1982年02月第1版.第16頁
  3. ^ 周德鴻年二十七歲,四川人。習工科,本屆考試列最優等,均擬請旨賞給工科進士。「溥偉等為請分別給予遊學畢業生出身以示獎勵事摺」,宣統三年九月初六日。《歷史檔案》1997年第4期
  4. ^ 四川大學校史編寫組編.《四川大學史稿》.四川大學出版社,1985年10月第1版.第45頁
  5. ^ 政府広報第1888号” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年9月8日閲覧。
  6. ^ a b 「回憶東北空軍」,孫炎,《中華文史資料文庫 政治軍事編 第8卷》(20-8).中國文史出版社,第610頁
  7. ^ 「舊中國航空界見聞-奉軍的航空事業」,蔣逵,《中華文史資料文庫 政治軍事編 第8卷》(20-8).中國文史出版社,第596頁
  8. ^ 張心澂撰.《中國現代交通史》.民國20年(台灣學生書局民國64年04月翻印).第392頁
  9. ^ 馬 1994, p. 278.
  10. ^ 馬 1994, p. 295.
  11. ^ 政府広報第4054号” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年9月8日閲覧。
  12. ^ 馬 1994, p. 281.
  13. ^ 馬 1994, p. 283.
  14. ^ 杜連慶著.《張學良與東北軍》.遼寧人民出版社,1991年09月第1版.第439頁
  15. ^ 周德鴻,伯彬,(通訊)四川重慶玉帶街馬家巷,《中國科學社社員分股名錄》民國22年01月.第65頁
  16. ^ 林玉萍『75風華-空軍航空技術學院七十五週年校慶特刊』2011 p.32
  17. ^ a b c 「航空委員會時期之行政概要」,國民政府戰史編纂委員會檔案,《抗日戰爭正面戰場 (下冊)》,中國第二歷史檔案館編,第1961-1964頁
  18. ^ 国民政府広報第2244号(民国26年1月5日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2017年10月1日閲覧。
  19. ^ a b 馬 1994, p. 415.
  20. ^ 姜長英著.《中國航空史》.清華大學出版社,2000年10月第1版.第110-111頁
  21. ^ 「空軍第一飛機製造廠遷滇紀略」,楊福星,中國人民政治協商會議西南地區文史資料協作會議.《抗戰時期內遷西南的工商企業》.雲南人民出版社,1988年09月第1版.第166-170頁
  22. ^ 盧克彰編著 (1974). 空軍建軍史話. 空軍總部政治作戰部. pp. 260 
  23. ^ 周德鴻,四川省巴縣。(國)航空委員會參事。劉壽林 萬仁元 王玉文 孔慶泰.《民國職官年表》.中華書局,1995年08月第1版.第471-473,1321頁
  24. ^ 新港景象不復荒涼船閘昨正式試航(12月16日),《《益世報》天津資料點校彙編 三》,天津市地方志編修委員會辦公室,天津圖書館編,第1352頁
  25. ^ 国民政府広報第2701号(民国35年12月16日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2017年10月1日閲覧。
  26. ^ 國民政府広報第2903号” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年9月8日閲覧。
  27. ^ 邢契莘辭新港工程局長遺缺周德鴻繼任(8月24日),新港工程局局長邢契莘辭職已照準。交通部已令該局副局長周德鴻繼任。聞邢氏已應宋子文之邀,前往廣東,長珠江水利局。 天津市地方志編修委員會辦公室,天津圖書館編.《《益世報》天津資料點校彙編 三》.天津社會科學院出版社,2001.12.第1366頁
  28. ^ 塘沽零訊(9月9日)新港工程局副局長周德鴻奉令代理局長,已於一日正式就職,前任局長邢契莘三日由津來塘,希對於交接事宜,早作結束,以便迅赴珠江水利工程局長任所。周德鴻局長對於今後該工程局開源節流,擬有詳細計劃.日內南下晉京請訓。天津市地方志編修委員會辦公室,天津圖書館編.《《益世報》天津資料點校彙編 三》.天津社會科學院出版社,2001.12.第1669頁
  29. ^ 總統府(民國37年後)No.331” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年9月8日閲覧。
  30. ^ 總統府(民國37年後)No.368” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年9月8日閲覧。
  31. ^ 周德鴻(伯彬)川人。留學日本歸國後,先在東北航空方面任事,民十前後,輿邢契莘、徐租善、厲汝燕等同在北京航空署任職。來台俊轉任交通部技正等職,已於十餘年前逝世。《大世紀觀變集第2冊-中國現代化的歷程》第二章現代化的演進,第七節航業的演進,第拾小節航業人物事蹟簡述,1992.7,第224頁
  32. ^ 国民政府広報渝字第830号(民国34年8月14日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2017年10月1日閲覧。
  33. ^ 国民政府広報第2649号(民国35年10月15日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2017年10月10日閲覧。

参考

  • 馬毓福編著 (1994). 1908-1949中国軍事航空. 航空工業出版社 
軍職
先代
なし
航空委員会第三処処長
初代:1934.3 - 1936.5
次代
曹宝清
先代
林福元
空軍第一飛機製造廠廠長
第3代:1939 - 1941.4
次代
朱家仁