南都

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南都(なんと)は、複都制において「南の都」を意味する語である。

複都制

中国では、代の760年に荊州(現在の湖北省荊州市)を南都江陵府と改め、陪都としたことがある。これは翌年には廃された。

日本では平安時代以降、奈良を「南都」という別称で呼ぶことがあった。これは、奈良がかつての平城京であり、平安京から見て南にあったためである。ただし奈良が陪都とされたわけではない。

また、平安時代後期に奈良で勢力を持っていた興福寺を「南都」、平安京で勢力を持っていた延暦寺を「北嶺」と呼び、対にして「南都北嶺」と呼ぶこともあった。

関連項目