北塚古墳

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北塚古墳

家形石棺 遠景
所在地 広島県福山市駅家町服部永谷
位置 北緯34度34分22.38秒 東経133度18分55.30秒 / 北緯34.5728833度 東経133.3153611度 / 34.5728833; 133.3153611座標: 北緯34度34分22.38秒 東経133度18分55.30秒 / 北緯34.5728833度 東経133.3153611度 / 34.5728833; 133.3153611
形状 不明
埋葬施設 組合式家形石棺
横口式石槨?)
出土品 鉄釘・須恵器
築造時期 7世紀後半
史跡 広島県指定史跡「北塚古墳」
特記事項 墳丘は非現存
地図
北塚古墳の位置(広島県内)
北塚古墳
北塚古墳
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北塚古墳(きたづかこふん)は、広島県福山市駅家町服部永谷にある古墳。広島県指定史跡に指定されている。

概要[編集]

家形石棺
横口式石槨の石槨部とする説もある。

広島県東部、神辺平野から北に入った、服部大池から北の谷に面する丘陵端に築造された古墳である。これまでに墳丘は削平で失われているほか、1982年昭和57年)に試掘調査が実施されている[1]

元々の墳形は明らかでない。埋葬施設としては花崗岩製の組合式家形石棺[2](または横口式石槨の石槨部[3])が遺存する。6枚の切石を組み合わせた石棺で、長さ2.34メートル・幅1.41メートル。高さ0.56メートルを測る[2]。蓋石は各辺が丸みを帯びた長方形で[2]、縄掛突起が退化したような装飾が造り出される[3]。出土品としては試掘の際の鉄釘・須恵器(坏)片がある[3]。築造時期は古墳時代終末期7世紀後半[3](または7世紀前半[4])頃と推定され、猪ノ子古墳(福山市加茂町下加茂)のような横口式石槨(石棺式石室)古墳の前段階に位置づけられる[2]

古墳域は1988年(昭和63年)に広島県指定史跡に指定されている[2]

文化財[編集]

広島県指定文化財[編集]

  • 史跡
    • 北塚古墳 - 1988年(昭和63年)12月26日指定[2]

脚注[編集]

  1. ^ 北塚古墳(福山市ホームページ)。
  2. ^ a b c d e f 北塚古墳(広島県教育委員会「ホットライン教育ひろしま」)。
  3. ^ a b c d 史跡説明板。
  4. ^ 北塚古墳(古墳) 1989.

参考文献[編集]

(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(福山市教育委員会、2013年設置)
  • 「北塚古墳」『日本歴史地名大系 35 広島県の地名』平凡社、1982年。ISBN 4582490352 
  • 小都隆「北塚古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 

関連文献[編集]

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 「北塚古墳試掘調査」『福山市文化財年報19』福山市教育委員会、1983年。 

外部リンク[編集]

  • 北塚古墳 - 広島県教育委員会「ホットライン教育ひろしま」
  • 北塚古墳 - 福山市ホームページ