冷泉為理

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冷泉為理
冷泉為理
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 文政7年7月1日1824年7月26日
死没 明治18年(1885年4月25日
官位 正二位権中納言
主君 孝明天皇明治天皇
氏族 上冷泉家
父母 父:冷泉為全、母:松子(渋谷真乗の娘)
正室:柳原良子柳原隆光の娘)
風月庵照快、為紀入江為守、路
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冷泉 為理(れいぜい ためただ)は、江戸時代後期から明治時代にかけての公卿歌人上冷泉家20代当主。

経歴

文政7年(1824年)、冷泉為全の子として誕生。母は佛光寺門主渋谷真乗の娘松子。

官位正二位権中納言。幕末の動乱にあって俊成定家自筆本を始めとする家宝を守り、明治維新後は京都に残る事を選んだ。

明治18年(1885年)、薨去。家督は子為紀が継いだ。

系譜

脚注

  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻、836頁。

参考文献