倭漢福因

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2022年11月17日 (木) 05:09; 学者気取りの先頭はここで終わり! (会話 | 投稿記録) による版 (素人の説を削除)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

倭漢 福因(やまとのあや の ふくいん)とは、飛鳥時代豪族。遣隋留学生。

経歴[編集]

推古天皇16年(608年)第三次遣隋使に大使・小野妹子に従って、高向玄理南淵請安ら7名とともに留学生として同行し、へ渡った[1]。滞在は15年に及び、推古天皇31年(623年新羅使の大使・智洗爾(ちせんに)に従い、薬師恵日と同行してより帰国し、ともに唐との通交について上申している[2]

脚注[編集]

  1. ^ 『日本書紀』推古天皇16年9月11日条
  2. ^ 『日本書紀』推古天皇31年7月条

参考文献[編集]