佐久間啓荘

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佐久間 啓荘(さくま けいそう、1862年12月28日文久2年11月8日[1] - 1936年昭和11年)1月15日[2])は、日本政治家衆議院議員(1期)。

経歴[編集]

広島県出身[2]。文官普通試験に合格する。小学校訓導、郡書記、広島県属、山県甲奴の各郡長を歴任する[2]

1921年の広島7区の補欠選挙において憲政会公認で当選した。衆議院議員を1期務め、1924年第15回衆議院議員総選挙で落選した[3]。1936年に死去した。

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第四十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1921年、26頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』267頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』76頁。

参考文献[編集]

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。