人造米

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人造米(じんぞうまい)とはの代用食料として「」や「とうもろこし」などのでんぷん質から作った米状の食品である。

人造米の歴史

戦後の食糧難の頃に食料問題を解決する手段として麦やトウモロコシのでんぷん質を加熱糊状にしてから米粒の形に圧縮成型する方法で米の代用品を製造する方法が開発された。 この米の代用品は人造米と呼ばれ、1953年(昭和28年)10月27日の閣議では「人造米育成要綱」[1]が決議されるに至り、国は国内にある多くの食品メーカーに人造米の製造を奨励した。

人造米はその製法が簡単であり製造ラインに多額の投資をする必要もなかったため、人造米を作る工場はこのような国の働きかけも後押しするかたちで急速にその規模を拡大した。また、ビタミン等を添加した強化米を作るにも、原料に練り込むだけでよいという利点があった[2]

しかし、国民の人造米に対する評価は「外米より不味い」とか「うどんを細かく刻んだようだ」など散散なものであったため、発売当初は物珍しさなども後押ししてそれなりに売れたものの「人造米育成要綱」の決議からわずか数ヵ月後の昭和29年の春を過ぎた頃から全く売れなくなり、次第に製造量は減少した。そして昭和30年代前半に市場から姿を消した。

その他

  • 普通の米とまったく同じように炊くことができる。
  • 国などは、味が不味いのをごまかす方法として「米と人造米を同量混ぜて炊くとうまい」などと盛んに喧伝したが、売れ行きが向上することはなかった。
  • 発売当時の価格は1 kgあたり80円から85円程度だった。
  • 製造のピークは昭和29年の1月頃で、月産約400 tほどだった。

脚注

  1. ^ 内閣、1953年10月27日『人造米生産育成要綱』https://rnavi.ndl.go.jp/cabinet/bib01164.html
  2. ^ 農林省食糧研究所、1958年3月「日本の食糧とビタミン強化」『食糧 その科学と技術』1号、http://www.nfri.affrc.go.jp/guidance/kankobutu/kanko_sou1-41.html 86ページ目参照。

関連項目